ラテン・アメリカ人種ワードのポリコレ~アメリカ人はアウト?インディオはコレクト?~

西語

日本語ではアメリカ合衆国の人のことを指す言葉は「アメリカ人」ですが、スペイン語で「americano/a」ということには少し注意が必要です。

例えば、あなたがとあるペルー人との会話の中でアメリカ合衆国の人を指して「americano/a」と言った場合、そのペルー人は、「アメリカは北アメリカに限らず中米、南米もアメリカであり、また語源的に言えば南米こそアメリカと最初に名付けられたといえるにも関わらず、アメリカ合衆国の人間のみをさして「アメリカ人(americano/a)」と呼ぶことは思慮深いとは言えないなぁ。」と思うかもしれません。

本記事では、ラテン・アメリカを語る上では欠かせない一方でデリケートでもある人種に関するポリコレについて考えていきたいと思います。

ラテンアメリカ人種ポリコレ

クリオーリョ

クリオーリョ(男性)/クリオーリャ(女性)(Criollo/a)は、アメリカで生まれたスペイン人に対して使われる言葉として知られています。つまり、血はヨーロッパ系白人であるが、アメリカで生まれている人(スペイン人2世、3世など)です。

実は上記の意味も国によってかなりバラつきがあり(例えばブラジルでは同じ言葉(crioulo)を黒人や黒人との混血の人に用いたりする。)、その語源などの解読も深くできるのですが、これは別の機会に譲るとして、この言葉のポリコレについて考えていきます。

まず前提として、クリオーリョや、本記事の以下で紹介する人種に関わるワードは、ネイティブでなく使い慣れていない人であれば、特定の誰かを指してあえて用いることは避けられるなら避けた方が良いと考えます。色んな歴史のある言葉なので、玄人でない限りは、使わないで済むならそれに越したことはないと言えます。

その上で、「クリオーリョ」は、歴史を語る上で専門家たちも普通に使う言葉であり、例えば「クリオーリョであるシモン・ボリバルは〜」といったように、歴史上の人物を語る際に用いることには問題はないと言えます。従って、このような使い方をする場合の「クリオーリョ」は、政治的に問題がない(コレクトな)用語です。

なお、現在では国によっては「クリオーリョ」は、スペイン文化との対比で「ラテン・アメリカ土着の」というようなニュアンスを持たせ、誇らしく使うこともあります。

メスティソ

メスティソ(男性)/メスティサ(女性)(Mestizo/a)は、ラテン・アメリカの先住民とスペイン人との混血の人を指す言葉で、メキシコやペルー、ボリビアをはじめとした多くの国で人口の大部分を占める人種です。

前項でも述べたとおり、例えば「あなたはメスティソだよね」というように、会話の中で特定の人を指して人種ワードを使うことは、初心者は避けた方が無難だろうということは申し上げた上で、メスティソのポリコレを考えたいと思います。クリオーリョと異なり、メスティソは現在も多くの人が該当する人種に当たるので、より注意が必要なワードでもあります。

結論から言えば、筆者は、メスティソという言葉自体にはなんら軽蔑の意味合いはなく、フラットに用いられる言葉であり、ポリティカリー・コレクトであると考えます。

メスティソは、長いスペイン・白人支配の歴史の中で、そうした支配層と比べれば社会的に低い地位に置かれてきたことが影響し、「メスティソ」という言葉に軽蔑の意を感じる、と考える人はいないとは言えません(実際、SNS上でも「メスティソは軽蔑語なのか?」という議論はパラパラ見られます。)。

しかしながら、現代において、先住民系の人やその混血は他の人種と全く平等であり、むしろそれが誇らしいと考えるのであれば、そうした混血の人を指す「メスティソ」は中立な言葉であり、あるいは誇らしい言葉であると考えます。

例えばメキシコのアンドレス・マヌエル・ロペス・オブラドール大統領(通称頭文字をとって「AMLO(アムロ)」)は、自分はメスティソであり、それを誇りに思う、とさまざまなところで述べています。

ムラート

ムラート(男性)/ムラータ(女性)(Mulato/a)は、基本的には黒人とスペイン人(白人)の混血の人を指すものです。これも、メスティソ同様、他の人種同様そうした人種であるということは誇らしいとの考えから、この言葉がポリコレ的にダメであるとか、軽蔑的であるとは考えません。

インディオ

インディオ(男性)/インディア(女性)(Indio/a)は、アメリカの先住民を指す言葉です。この語源は、「新大陸」としてのアメリカを「発見」したコロンブスがインドだと思っており、そこに住む人々のことを「インドの=インディオ/インディア」と捉えたことであることは有名です。

このように、そもそも誤解から来た言葉であるし、また征服者中心主義が見え隠れするということで、「インディオ」は多くの人から忌避される言葉、すなわちポリコレ的には「アウト」である、と考えることが一般的です。スペイン語の報道などで先住民を表す際は、ネイティブ、元からそこにいた人を意味する、「インディヘナ(indígena)」(英語だとindigenous)が用いられます。

一方で、あえて「インディオ」という言葉を使うのだ、あるいは使うべきなのだ、という人もいます。これは、先住民自身があえてポリコレ的にアウトな言葉を自称するケースや、言葉に秘められた白人中心主義をあえて白日の元に晒すためにするケース、言葉をインディオからインディヘナにすり替えただけで根本的な差別構造が変わっていないことへの批判を込めて使うケースなどがあります。

ポリコレにただただ流されることのないこうした視点は高貴なものであり、これに追従したいと思うことは真っ当であると思いますが、これが話し手との摩擦なくできるのは一定以上の腕をもった玄人のみであることを認識した方が懸命です。初心者〜中級者は、インディヘナ、あるいは”Pueblos orioginarios(現地民)”などの言葉を選ぶことをお勧めします。

ガチュピン/チャペトン

ガチュピン/チャペトンは、スペイン本国生まれのスペイン人を指す言葉です。これは「発見」〜独立直前までラテンアメリカで支配層であったスペイン本国から来たスペイン人(統治のために派遣されるケースなど)に対し、主にクリオーリョが敵意を持って用いていた言葉で、現在も、ラテンアメリカに在住するスペイン人をネガティブな形で指す言葉として、主にメキシコで、ジャーゴン的に使われています。

従って、この言葉はポリティカリー・インコレクトだと言えます。

グリンゴ

グリンゴは、アメリカ合衆国の主に白人を指す言葉で、これもガチュピンと同じく、ネガティブなニュアンス(敵対・軽蔑・からかい)を含んでおり、ポリコレ的には「アウト」です。

アメリカーノ(アメリカ人)

アメリカーノ(男性)/アメリカーナ(女性)(americano/a)は、「アメリカ(米州)の」という意味に加え、「アメリカ合衆国の」を指す言葉としても知られてはいます。

一方で、冒頭に述べたような感覚を持つラテン・アメリカの人は少なくないため、「アメリカ人」を指す言葉としては”estadounidense”を用いることがベターです。逆に、アメリカ大陸、米州全体を指して「アメリカーノ/アメリカーナ」を用いることは、適当であると言えます。

まとめ

本記事では、ラテン・アメリカの人種を指す言葉で主要なものをいくつか見ていきました。この種のポリコレは、個人個人で考え方、感じ方が異なるものでありますので、本記事の筆者の一意見として、なんら参考までにお読みいただければ幸いです。

主な参考文献

・ラテンアメリカの歴史(世界史リブリット)高橋均著(山川出版社)
・ラテンアメリカ五〇〇年 歴史のトルソー 清水透著 (岩波現代文庫)

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‎ラテンアメリカについてゆるく語るラジオ(らべいのせかい)の番組、エピソード#02 ラテンアメリカ人種ポリコレ〜「インディオ」はセーフ?「アメリカ人」はアウト?〜【言語】-2022年8月3日

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