ベネズエラは、2012年にメルコスールに正式加盟し、そのわずか5年後の2017年に「民主主義の断絶」を理由として資格停止を食らいます。
本記事では、その加入の経緯、ベネズエラ危機へのメルコスールの一枚岩の対応、その後の自由化・対外共通関税(AEC)設定に向けた動きを紹介します。
ベネズエラ 加入と資格停止
南米第3の大国の加入
2006年6月、ベネズエラのメルコスール加入に関する議定書(Protocolo de Adhesión de Venezuela al MERCOSUR)に署名がされます。
その6年後の2012年6月、パラグアイ(常にベネズエラの加入に反対していた。)が資格停止であったことで理論的には「全ての加盟国」の国会承認手続きを経て、ベネズエラは正式な加盟国となります。
当時、ベネズエラは南米第3の経済大国で、同国の加入は経済的に大きな意義を持ちました。一方で、ベネズエラは反米イデオロギーをはじめとした特色の強い外交政策を持った国で、自由で開かれた経済ブロックとしてのメルコスールの性格に影を落とすことも心配されました。
当時、ベネズエラはチャベス政権、ブラジルはジルマ・ルセフ政権、アルゼンチンはキルチネル政権、ウルグアイはムヒカ政権と、南米広く左派政権の流れがきていた時期です。ベネズエラは、こうした左派政権がイケイケだった時代の雄(ゆう)としてメルコスールに加入するわけですが、のちに資格停止になることからもこの選択はメルコスールの統合にとって良いものなのかはクエッションです。常に反対していたパラグアイからすれば、「それ見たことか」と言いたくなるような状況だと思います。
経済的転落と資格停止
2017年8月、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ウルグアイは、『メルコスール(とボリビアおよびチリ)における民主主義の誓約に関する議定書(ウシュアイア議定書)』第4条の”caso de ruptura del orden democrático”(民主主義的秩序が破られたケース)に当たるとして、同議定書第5条に基づき、ベネズエラのメルコスールの加盟国としての地位の停止を決定します。
2017年までに、かつてベネズエラの加入を可能にした全ての加盟国で政権交代が起きており、またベネズエラでもカリスマ的なウゴ・チャベスが2013年に没し、その後のマドゥロ政権(2013年〜)は経済を急速に衰退させ、グアイド暫定政権を誕生させるような自由・民主主義・人権にとって大きな問題を生んでいきます。
当時の左派ブームも去り、ベネズエラの経済規模が大幅に縮小したことで、ベネズエラの参加資格停止にベネズエラを除く全ての加盟国が合意できました。ラテン・アメリカの統合グループは、UNASURなどが顕著であるように、加盟国の政治イデオロギーに左右されがちですが、ベネズエラ資格停止でメルコスールが一致団結できたことは、同グループにとって幸運なことであったと思います。「ウシュアイア議定書」にある「民主主義的秩序が破られた」かどうかの判断は時の政権の政治的主観に依拠し、例えばマドゥロ政権からすれば「民主主義的秩序が破られた」ケースには全く当たらないということになるように、政治イデオロギー次第であると言えます。
ベネズエラ危機を前に一枚岩に
こうしたベネズエラの自由・人権・民主主義の危機を前に、メルコスールが一致団結した立場をとることができたことを、加盟国はメルコスールの成果として評価しています。メルコスールの30周年に寄せた各国の外相メッセージでは、メインの経済的な成果であまり大々的に言えることが少ない中で、この民主主義・人権の分野の成果がハイライト(強調)されています。
ベネズエラの自由化とAEC設定
正式な加盟国となったベネズエラのメルコスールの制度の受け入れについて、以下で簡単に見て行きます。具体的には、メルコスール加入後の同国の自由化とAEC設定の進展について、INTALレポート(2013)をベースに見て行きます。
ただし、前述のとおりベネズエラはすでに参加資格が停止されていて、すでにそこから5年経過し、いつ停止が解けるかも不明なので、過去の制度上の合意はあまり意味を持たないものであるとも言えます。
ベネズエラの自由化
2008年、ベネズエラは、パラグアイおよびウルグアイとの間で、関税撤廃と自由化(=それらの国の商品のベネズエラ市場への自由なアクセス)に合意します。一方で、アルゼンチンとブラジルとの間では、2018年1月に100%適用とすることを目標に特恵関税を段階的に適用していくクロノロジーを作成しました。
ベネズエラのAEC設定
2012年末に開催されたメルコスール会合において、ベネズエラはAECを導入することを決定(Decisión CMC Nº 31/12)しましたが、AECの一律な適用は合意されたクロノロジーに基づき段階的に行われるものとされました。具体的には、繊維、衣料、履物などの低度技術の製造業、および自動車産業は、AECの適用は遅れるものとされました。
この決定は、他の加盟国同様、AECの例外を認めることにつながり、認められた品目数と期限は以下のとおりでした。
・260品目(NCMコード)(2016年12月31日まで)
・160品目(NCMコード)(2017年12月31日まで)
ベネズエラの加盟国として遵守していくクロノロジー(段階)
ベネズエラが加盟国として果たすべき制度上の整備とそのクロノロジー(段階)は”Cronograma de Incorporación por la República Bolivariana de Venezuela del Acervo Normativo del MERCOSUR”として定められ、前述の2012年末の会合において合意されました (la Decisión CMC Nº 66/12)。
ベネズエラとメルコスールの実質的な関係(貿易量)
ベネズエラのメルコスールとの実質的な関係についてINTALレポート(2013)は、ベネズエラとメルコスールとの間の貿易による結びつきは弱いと結論付けています。
ベネズエラのメルコスールに対する輸出割合(同国の輸出全体に占める対メルコスール輸出の割合=輸出依存度)は2.0%程度で、それは主にブラジルとウルグアイに対するものです(INTAL(2013))。
以下はCIA統計ベースのベネズエラの輸出入相手の過去約10年の変化を示しており、いずれの年も上位の輸出先にメルコスール加盟国は出てきません。輸入先としてはブラジルが2012年、2019年ともに上位3カ国目になっています。
輸出入のいずれでも、中国の重要性が急増しており、輸出先としてインドの存在感も急上昇しています。
マドゥロ政権下の人権・民主主義の危機を前に、いわゆる西欧的な価値観とは一線を画する国と経済的にも結びつきを強めていることがわかります。
【ベネズエラの輸出先(100万USD)】
年 | 1 | 2 | 3 | 4 | Total |
2012年データ | 米国 (38.060) (39.1%) | 中国 (13.920) (14.3%) | インド (11.681) (12.0%) | オランダ (7.593) (7.8%) | 97,340 (100%) |
2019年データ | インド(34%) | 中国(28%) | 米国(12%) | スペイン(6%) | 83,401 (2018 est.) (100%) |
【ベネズエラの輸入先(100万USD)】
1 | 2 | 3 | 4 | Total | |
2012年データ | 米国 (18.801) (31.7%) | 中国 (9.964) (16.8%) | ブラジル (5.397) (9.1%) | コロンビア (2.847) (4.8%) | 59,310 (100%) |
2019年データ | 中国(28%) | 米国(22%) | ブラジル(8%) | スペイン(6%) | 18,432 (2018 est.) (100%) |
マドゥロ政権下の経済危機
なお、マドゥロ政権下の人権・民主主義上の危機と同じくらいか、それ以上に問題なのが経済危機です。
以下では、同政権下で、現在ベネズエラ経済がどうなってしまっているかを端的に紹介しています。
まとめ
ベネズエラは、当時の南米の左派ブームの流れに乗り、2012年にメルコスール加盟を果たしますが、チャベス没後、マドゥロ政権下で政治的にも経済的にも転落し、2017年にベネズエラを除く全加盟国の合意によりメルコスールの参加資格が停止されます。
メルコスールは、ベネズエラ危機を前に加盟国が一枚岩になり対応し、域内の民主主義を強固なものにしたことを同グループの大きな成果として認めています。
ベネズエラとメルコスールとの貿易上のつながりは強くなく、同国は中国やインドなど、今回のウクライナ戦争をめぐるロシアとの貿易関係を見てもわかるように、主要先進国と一線を画する立場をとる国との経済関係を急速に強めています。
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